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43件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-10-10 第200回国会 衆議院 予算委員会 第1号

改めまして、日本は、申し上げるまでもなく、四方を海に囲まれ、遣隋使遣唐使そうした時代、また、その昔から他国との貿易を通じて日本は豊かに、また彩られてきた、そういう国であります。まさに自由貿易が成長の礎となってきました。しかし、今、世界では保護主義的な動きが台頭しつつあるように思われます。  

小渕優子

2018-12-06 第197回国会 参議院 法務委員会 第8号

もちろん皆様に御紹介するものでもないんですけれども、奈良時代に失明しながら日本に渡り、鑑真というのは、日本遣唐使から直接依頼を受けて日本にいらした方です。悪徳ブローカーではなく、日本遣唐使依頼をしたという。鑑真は失明しながら日本に渡り、日本仏教の発展に貢献した人物であります。  

石井苗子

2018-11-21 第197回国会 衆議院 外務委員会 第3号

おい、杉本、何か阿倍仲麻呂だったらしいぞという言葉があって、どんな意味かなというふうに思ったんですけれども、要は、やはり中国、大臣はそういう経験は何度もされているかと思うんですけれども、遣隋使があって、遣唐使があって、唐の時代遣唐使として行かれたのが阿倍仲麻呂であって、その阿倍仲麻呂から歴史をひもといて中国は話をしてきた、こんなようなお話であったやに聞いています。  

杉本和巳

2018-04-06 第196回国会 衆議院 文部科学委員会 第5号

池に浮かぶ遣唐使船がこの目玉でございます。これは、二〇一〇年の平城京遷都千三百年祭に続く第二弾の大きなイベントと言えるものでございますが、私が事務所を構えております近鉄奈良線大和西大寺駅、この駅が最寄り駅でございますが、この駅から会場の朱雀門ひろばまで実際には徒歩で二十分かかります。

小林茂樹

2016-04-19 第190回国会 参議院 内閣委員会 第11号

島には美しいツバキが自生し、古くは遣唐使が往来するなど大陸文化との交流拠点でもありました。また、遠洋漁業や捕鯨の一大拠点として栄えた時期もありました。  現在は、人口減少高齢化が進む中で、五島市は雇用を生む島づくりを掲げ、地場産業の育成、五島ブランド特産品振興に取り組んでおられます。ツバキ油、あるいはマグロ養殖、タカナやブロッコリーなどの野菜、五島牛などに力を入れておられました。

山下芳生

2011-07-15 第177回国会 衆議院 環境委員会 第11号

今まで遣唐使のお土産物というのは絹と銀だったわけです。やっと金を手に入れたということで、まず奈良の大仏のメッキに使って、そして遣唐使に持たせて、それで、七百四十九年ですから、最澄や空海が八百六年、八百五年、相次いで帰ってきて、まあ、要するにお経はただじゃくれませんでしたからね。真言宗にしても、すべての仏教関係のいろいろな資料というのは、まさに私たちが今拝んでいるものは、東北で金が出たからですね。

福井照

2010-04-14 第174回国会 参議院 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第5号

私が一番申し上げたかったのは長期的な展望でありますが、これも、私も中国にもいろんな友人がいるんですが、友人のある高官の一人に私は同じようなことを尋ねましたら、その私の友人が答えましたのは、遣唐使時代に戻ればいいということが回答でありました。つまり、中華帝国でございます。これが本音であったら本当に私は怖いなということで現在に至っている次第でございます。  以上です。

川上高司

2010-02-03 第174回国会 参議院 本会議 第6号

米国との信頼関係が揺らぐ一方で、小沢幹事長が平成の遣唐使さながらの大訪問団を率いて訪中をし、天皇陛下と中国副主席の特例会見が強行されたことを見れば、こうした疑念が生ずるのも当然であります。  もちろん中国は大切な隣国でありますが、その軍備拡張にひた走る姿や世界のヘゲモニーを握ろうとする姿を見るとき、決して無警戒ではいられません。

岡田直樹

2008-05-15 第169回国会 参議院 国土交通委員会 第8号

これは長安を見てカルチャーショックを受けたと思うんですけれども、そういう遣隋使遣唐使という人たちがその技術を学んで、そして日本でこういう平城宮を造ったということで、中国日本のいわゆる交流の原点はここにあるんじゃないかということを僕も申し上げたわけですけれども、そのように歴史、ここは、文化庁造っていただいた周辺は国営公園としてこの二十年度から造成をさせていただいております。

冬柴鐵三

2006-11-01 第165回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第5号

伊吹国務大臣 今先生のお話を伺っていまして、私が私の子供に昔話したことをちょっと御紹介しますと、かつて、中国という国は非常に日本文化の父のような国と言われて、あちらで知識を取り入れるということは、遣唐使隋使と言われて、当時としては大変名誉なことであったようですが、隋の国へ行こうというときに、大きな国へ行くことに非常に、遠い国でもありますし、恐れおののいていた人を励まして、山上憶良が詠んだよく

伊吹文明

2006-03-01 第164回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

日本文化も、昔は遣唐使その他の留学生が外国から文化を持って帰って、日本文化を、歴史をつくってきたじゃありませんか。それと同じように、アジア日本から見れば経済規模の小さい国も、それぞれの国を立派につくりたいと思っているに違いありません。  だからこそ、そういう国に対して思い切った留学生制度の方針というのを打ち出すことによって、日本は発想を転換してきたと。

岩國哲人

2005-07-20 第162回国会 衆議院 文部科学委員会 第15号

これは文化交流使遣唐使隋使にちなんでいるんだと思うんですけれども、非常に目玉的におっしゃるんですけれども、一体どれぐらいの方が向こうに出ていかれて、どれぐらいの方と交流されて、どれぐらいの方がこっちに来られたりしているんですか。人数ですよ。二十五という数字を役所の資料で見たんですけれども、二十五名の方が約四百万円ぐらいかけて海外に出ていって活動されたんですか。

大谷信盛

2005-07-01 第162回国会 衆議院 外務委員会 第11号

それで、これは何とかしなきゃと言っていて、聞いてみたら、何と阿倍仲麻呂遣唐使として、七六一年から七六七年に、当時中国がベトナム、この地域を支配しておられましたから、中国のいわゆる科挙を通った官僚として、長官としてこの地域を六年間治めていた。もしかしたら提督といううわさもあるんですけれども。

大谷信盛

2005-02-25 第162回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号

東の野にかぎろひの立つ見えてかへりみすれば月かたぶきぬ   み吉野の象山のまの木ぬれにはここだも騒ぐ鳥の声かも   旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天鶴群  何もわからぬでも、何となく、聞いておって、ああ、遣唐使を送るお母さんが、空を飛ぶツルの群れを見て、私の息子は船に乗って遣唐使で行ったけれども、どこかの港に宿って野営するときに、霜が降ったら、そこのツルさんよ、おりてきて自分の子をこうしてよ

谷川弥一

2004-05-19 第159回国会 衆議院 国土交通委員会 第22号

そういった新たな観光資源を最大限活用いたしまして、そしてまた、例えば江田島の旧海軍兵学校でございますとか、また倉橋の昔の中国に派遣をした遣唐使の船の製造所、あるいは蒲刈の造船施設、そういったものを周遊コースで結びまして、観光振興、そしてさらにはビジット・ジャパン、海外からも積極的な観光のPR、誘致を行いたいということでございます。  そして、三番目の若年雇用者の問題。

寺田稔